平清盛に関する質問

平清盛 源義経、頼朝などの苗字って?

源義経、源頼朝、平清盛、大江広元などには、北条時政たちのように苗字はなかったのでしょうか?苗字氏諱 北条時政北条平時政 安達泰盛安達藤原泰盛 源 義経?源義経 平 清盛?平清盛

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平清盛 源頼朝と平清盛

源頼朝と平清盛の性格を教えてください!また2人の共通点と相違点も教えてください。それとどちらの人物に軍配をあげますか?できれば、その基準と事実、その理由を教えてください。お願いします

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平清盛 平清盛の病気は

大河ドラマで平清盛の病気は現代ではなんという病名でしょうか?。苦しみ喘いで亡くなりましたね。

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平清盛 平清盛の傍にいるおかっぱ髪の御用聞きは?

ことです。平清盛の傍にいつも御用聞きや話相手のようにいるおかっぱ髪の男性についてです。第17回「弁慶の泣き所」では「(お忘れになった)菩提樹のお数珠を福原まで取りに行きましょうか」というような内容を清盛の傍

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平清盛 平清盛のスパイ・キッズは実在した?

平家物語によると、平清盛は、十代の少年300人ほどを揃え、おかっぱ頭に赤い服を着せ京都を巡回させ、平家に反抗的な人物を報告させていたそうです。(禿髪(かぶろ)の段)これは歴史的事実でしょうか?

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平清盛関連エントリー

信長と似てる?暴君ではない平清盛のもう一つ顔

仁安二年(1167年)2月11日、 平清盛が太政大臣に就任しました 。 って事で、昨年は、その異常な出世の要因ではないかと思われる 平清盛の出生の秘密 について書かせていただきましたが (2008年のページを見る>>) 、今回は ...

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今日(2月4日)は平清盛(たいらのきよもり)が死去した日で ...

... 「 暇人の戯言 」よりお借りしました 今日は平清盛(たいらのきよもり)が64才で死去した日です 平清盛については評価は様々有ります。私自身は大変な人物と思っています。それまで貴族から虫けら同然に思われていた武士。 ...

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平氏の全盛期を築いた平清盛

... なお、平清盛の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページ・オンラインブック(「せかい伝記図書館」を公開中) の 「平清盛」 を、ぜひご覧ください。約100名の伝記の一人として紹介しています。 「2月4日にあっ ...

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滝沢秀明「義経」でも「平清盛」渡哲也が極秘入院!

... ということになる次第! ちなみに!「平清盛」は「5月8日」放送予定となる 第18回「清盛死す」が「義経」での「最後」の登場! 「渡哲也」が「役者魂」の篭った迫真の演技で魅せる 「平清盛」…最後まで!篤と味わいたいものである! 「人気blog ...

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平清盛と厳島神社

承安二年(1172年)6月11日、 平清盛 が 厳島神社に法華経十巻を奉納 しました。 ... 現在の規模になったのは、やはり 安芸守 (あきのかみ) 平清盛 の造営によるものです。 清盛が法華経を奉納した1172年と言え ...

平清盛と厳島神社

平清盛旅行記

神社に行こう 2 厳島神社(広島県廿日市市宮島町)(by きいろチビさん)

平清盛
最近のマイブームは神社です。
仕事柄いろいろな所に出張で行き、暇な時間には街歩きをします。
でも何の目的もなしに歩くのはちょっと辛い、何か目標を作らないと・・・そこで神社。
神社は日本中ありますし、祀っている神様も様々、建築様式も様々で飽きないし、何より御利益がある!!。
お寺も日本中ありますが、僕はどちらかというと神社の方が性に合っている?ようです。
有名なところから無名の所まで街歩きで出逢った神社をご紹介したいと思います。

第2回目は・・・
皆様ご存じ、ユネスコ世界遺産・宮島の厳島神社です。
創建は推古天皇元年と言いますから今から何と1500年前!!それ以前も宮島自体が神として信仰の対象だったそうです。
現在の能舞台のような美しい社殿は約800年前に平清盛の命によって建造されたそうです。
大鳥居が海中にあるところをみると、いわゆる境内も海の中と言うことなのでしょうか?
とても神秘的で美しい神社です。

【旅行時期】2009/02/~2009/02/
【エリア】宮島
【テーマ】寺社・札所めぐり
【投稿者】きいろチビ

紅葉の古都 京都(奥嵯峨:祇王寺)(by comevaさん)

平清盛
落ち紅葉の祇王寺と言われ、個人的にもお気に入りのお寺ですが、簡単に見て周ろうと思えばほんの10分ほどあれば足りるほど本当に小さなお寺です。

大覚寺の塔頭で真言宗のお寺、祇王寺(尼寺)は昔の往生院の境内であり、往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創められたと伝えられ、山上山下に亘って広い地域を占めていたが、いつの間にか荒廃して、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれる様になった。

こちら祇王寺は巻頭の”祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・でも御馴染みの「平家物語」にも登場!
いわゆる平清盛公を中心とした今で言う三角関係?から生じる悲恋の物語の尼寺として知られています。

○上巻 巻一 五 「祇王の事」より

その頃、都に聞えた白拍子の上手に祇王・妓女(ぎおう・ぎじょ)と言う姉妹がいました。近江の野洲江辺庄の生まれで母の刀自(とじ)とともに京都へ出て白拍子となり後に姉の祇王が清盛公の目にとまり、館で可愛がられる様になりました。
妹祇女も有名となり、母刀自にも家を作って与え毎月百石百貫の手当てもあり、気楽に暮らしていました。

或時清盛が祇王に、何か欲しいものがあるかと尋ねると、祇王は、自分の生国は水の便が悪く毎年旱害を受け、一庄三村は飢餓に苦しんでいるから願わくば、水利を得させて頂きたいと願った。清盛は早速、野洲川から三里の溝を掘らせ水を通した。里人はこれを徳とし溝を名づけて、祇王井川と呼び今に至っている。

ところがここにきて加賀の国の者で、仏御前と呼ばれる新たな白拍子の上手が現われ、西八条の清盛の館に行き、舞をお目にかけたいと申し出た。清盛は
「神とも言え、仏とも言え、祇王があらんずる所へは叶うまじきぞ、とうとうまかり出でよ」・・と門前払い
このまま門前払いにしておけばこの祇王寺はなかったと思いますが、祇王本人がやさしく取りなし呼び入れ、今様を歌わせたばかりに、清盛は仏御前の舞や歌のうまさに心を奪われたちまち仏御前に心を移しました。
これまでの愛情は何処へやら、祇王は直ちに館を追い出される派目に・・せめてもの忘れ形見にと障子に

萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草
        何れか秋に あはで果つべき

と書き残して去って行く。
あくる春になって清盛はいやしくも仏御前が退屈しているから舞を舞って仏をなぐさめよと使者をよこすと、祇王はもとより行く気がなかったが母の哀願に抗しかね、西八条の館へ出向き

仏もむかしは凡夫なり われらも遂には仏なり 
  いずれも仏性具せる身を 隔つるのみこそ悲しけれ

と歌い舞った。これには並み居る諸臣も、涙を絞ったと言う。

祇王は「かくて都にあるならば、又うき目を見むづらん、今は都を外に出でん」とて、祇王21歳祇女19歳刀自45歳の三人、髪を剃って尼となり、嵯峨の山里、この祇王寺の地に世を捨て、仏門に入る。
母子三人念仏している所へ竹の編戸を、ほとほとたたく音が・・昼間でも人の通わないこの山里へまして夜中に人が尋ねる筈もなくお釈迦様でも来たのかと思いきや出てみるとそこには、思いもかけぬ仏御前が剃髪の姿で立っていました。
祇王の不幸を思うにつれ、何れか秋に あはで果つべき、と書き残された歌を無常に感じ、今朝、清盛公に内緒でこっそり館を出てきたと言うのです。
仏御前17歳、浄土を願わんと深く思い込みその後は4人一緒にこの庵に籠って朝夕の仏前に香華を供え、みなそれぞれが極楽往生したと言われています。めでたしめでたし・・

尚、仏御前のお墓がここにないのは、その後出生地の北陸へ帰って極楽往生したと言うことです。


ちなみにこちらは春(3月29日)の祇王寺です↓
  • http://4travel.jp/traveler/comeva/album/10229525/


  • ●祇王寺

    拝観時間 9:00~17:00(三脚及び大型カメラはお断わりします)
    拝 観 料 300円
           600円【大覚寺・祇王寺(2ヵ寺)共通拝観券】



    【旅行時期】2008/11/28~2008/11/28
    【エリア】嵐山・嵯峨野・太秦・桂
    【テーマ】花見・紅葉
    【投稿者】comeva

    東大寺お水取りと京都散策(by tetsu60さん)

    平清盛
    3月1日から奈良の東大寺二月堂のお水取りが始まった。 14日にかけて毎晩お松明が焚かれる。 お水取りの頃は寒い。 しかも夜行われるのでなおさら寒い。 ということで今まで敬遠していたが、やはり一度は見ておかないと と思いツアーに乗っかった。
    行程は 1日目が大阪城公園の梅見とお水取り観光、2日目は京都観光。 お水取り本番は12日だが 12日のツアーは催行中止、人が集まらなかったらしい。 催行日は土曜日のみとのことで、やむを得ず3月1日に行くこととした。

    1日目 大阪城公園梅園→東大寺大仏殿→二月堂
    朝 天気は晴れ、福岡空港を発って伊丹空港へ。 伊丹からはバスで大阪城公園へ。 公園内にある梅園の観光。 ここには1200本の梅が植えられている。 紅梅、白梅、そして蝋梅などの珍しい梅も今を盛りと咲いている。 天気がよい所為もあるのか梅園には観光客や家族連れやカップルや、大勢の人が来ていた。 梅園の奥には大阪城がその威容を誇っている。 この大阪城、最近(?)改築か塗り替えかされたそうだ。 天守閣の最上階の壁にはトラの絵が描かれている。 昔はこんなものはなかったのだが… タイガースの影響か? はたまた悪乗りか?

    その後、奈良へ。 奈良では地元のボランテイアガイドさんが案内してくれる。 夜のお松明までの時間を利用してなら公園の散策。 まずは二月堂のお堂。 階段を上がって伽藍を通り抜ける。 お堂からは奈良の町が一望できる。 お堂の下には作られた松明が準備されていた。 また松明を作っているところにも行きあわせた。 長さ7~8mくらいの竹の先に50~60cmくらいの松の木を20本ほど蔓で縫いつけ、それに杉の葉をかぶせその上に桧の薄い板を篭目に編み上げる。 次に東大寺の大仏の観覧。 大仏殿は正しくは東大寺金堂。 世界最大の木造建築物で、奈良時代中期に建てられた。 盧遮那大佛を安置するためこのような大きな建物になった。 が、大仏殿はこれまで二度火災に会って消失し、現存する建物は江戸時代に建てられ、大きさは当初の建物の3分の2くらいに縮小された。 それでも間口57m、奥行き50m、高さ49mの建物。 大佛は正しくは毘物盧遮那佛とよばれ、世界を照らす仏様。 752年、奈良時代に僧行基により建立された青銅製の仏像で高さ15m、台座を含めて18mの大仏像である。 大佛、大佛殿ともに国宝。

    日が暮れて二月堂にお水取り(正しくはお松明)を見にゆく。 お水取りとは仏教寺で行われる法会のひとつで、もともと旧暦の2月1日から14日まで行われていた修二会(しゅにえ)のことである。 修二会とは毎年2月に11人の練行衆(修行僧)がご本尊に自らの罪の懺悔、国の安泰、仏法の興隆、民の安寧、五穀豊穣を祈る法要行事である。

    二月堂のお水取りは752年に行われたといわれており、以来一度も途絶えることなく今日まで1258回行われてきた。 二月堂の本尊は十一面観音だが、厨子の中に安置され決して開帳されることはない。 従ってこの観音菩薩のお顔を拝見した人はいないらしい。 二月堂は正しくは観音堂だが、修二会にちなんで二月堂と呼ばれている。 二月堂の近くには三月堂、五月堂もある。 
    お水取りの行事でわれわれが目にできるのはお松明だ。 お松明は10本、一本ずつお堂の架欄を走り火の粉を振り払う。 12日には…この日がお水取りの本番の日…11本のお松明が一斉に走る。 お松明はもとは錬行衆の足元を照らす灯りだったらしい。 このお松明の火の子を浴びると一年中無病息災との言い伝えがある。 
    そしてお水取りは12日の深夜に行われる本尊にお供えするお香水を汲む行事で秘事とされており、寺僧以外は一切見ることはできない。 閼伽井屋(あかいや)で閼伽水(あかみず…お香水)を汲む行事。 この閼伽井を「若狭井」と呼ばれている。 なんでもその昔二月堂で神様の集まりがあった際、若狭の神様が釣りに夢中になって会合に遅れた。 そこでお詫びのしるしにこの二月堂に井戸を贈ったそうな。 それ以来この井戸は「若狭井」と呼ばれるようになったとのこと。 そして若狭(福井県)での修二会は「お水送り」といわれている。

    今日は土曜日ともあって相当な人出、その上やはり寒い! 二月堂の伽藍の下は立錐の余地もないほど。 何とかもぐりこんでお松明を待つ。 午後6時半を過ぎて1本目のお松明が走る。 14~5mほどのお堂を走り、伽藍の角で松明を振る。 火の粉が飛び散る。 人々の歓声。 これが10本繰り返される。 これがなかなか勇壮というか、見ものではある。 ただし、一本毎の間が少し長い。 12日の本番の日は11本の松明が立て続けに走るそうだ。 テレビなどでお馴染みのシーンが見られる。 ただこの日は例年大混雑のため特別拝観となり、東大寺の発行する徽章をつけた上立ち止まり禁止の拝観となるらしい。 
    1時間ほどでお松明の行事は終わり、京都へ。

    2日目 六波羅蜜寺→知恩院→自由散策
    まずは寺宝が公開されているという六波羅蜜寺へ。 六波羅蜜寺は951年空也上人により開かれた寺。 有名な口から6体の阿弥陀仏を出しているあの空也上人である。 この6体は南・無・阿・弥・陀・仏をあらわしている。 比較的小さな寺である。 公開されている像は藤原時代、鎌倉時代の仏像や四天王像、平清盛像、仏師の運慶、快慶像などである。 
    六波羅は平家ゆかりの土地で有名な六波羅探題の置かれた地でもある。 時間があればゆっくりと巡ってみたい。

    この後は知恩院へ。 ここで解散。
    知恩院は浄土宗の開祖法然さんのお寺で浄土宗の総本山。 知恩院の寺域は広い。 その中心が御影堂。 家光が建てたもので知恩院の本堂、4000人が入れるらしい。 そして方丈は僧達の修行道場。 方丈の方丈庭園に入る。 地泉回遊式の庭園で背後に東山が迫る。 この庭園から山亭庭園に上る。 山亭は知恩院の一番高いところにあって、小さな庭から京の町並みを見渡せる。 庭には小さな可愛い石地蔵が置かれていた。

    知恩院から南禅寺へ。 南禅寺に来た目的は昼食に湯豆腐を食べるため。 南禅寺の湯豆腐はつとに有名。 タクシーの運転手に南禅寺直営の湯豆腐の店「聴松院」について聞いたところ昨年店を閉めたとのこと。 残念無念!! 
    昼食までの時間つぶしに南禅寺を巡ることにし、とりあえず三門に登る。 石川五右衛門がのぼり、見渡して「絶景かな」とたたえた三門。 町を見渡せるわけではないが、高登りはなんとなく気持ちがよい。 南禅寺は禅宗の臨済宗の寺。 境内は広いが建物は比較的小さい。 建物の大きさに比べて三門は大きい。 
    南禅寺の奥に水路閣がある。 時代が明治に入り京都の復興を図るため、琵琶湖の水を水運、動力、農業、飲料など多目的に活用するため、明治18年から23年にかけて水路が建設された。 高さ10mほど、幅は1.5mくらい、レンガ造りの立派な水路。 今でも水を通している。 この水を利用して蹴上(けあげ)に日本初の水力発電所も建設された。 

    昼食は聴松院の横にあるこれも有名な湯豆腐専門店の「奥丹」に行った。 京都の湯豆腐はやはりうまかった。 帰りのタクシーの運転手が「奥丹も最近は味が落ちたという評判。」といっていたが、なんの 福岡に比べればやはりうまい。

    さて、昼食の後は南禅寺境内横にある金地院(こんちいん)に行く。 金地院は足利時代に北山に建立された禅寺。 僧崇伝が南禅寺に移築した。 崇伝は天海僧正とともに家康の懐刀だった人物で社寺の一切をつかさどった寺大名といわれた人物。 よく言えば徳川300年の礎を作った人物。 悪く言えば大名の取り潰しを画策した悪徳坊主。 この寺の 鶴亀の庭園に入る。 江戸時代初期に小堀遠州が作った枯山水の庭園。 特別名勝だそうだ。
    次にちょっと気になっていた「インクライン」を見に行く。 インクラインは南禅寺のすぐ外にあった。 インクラインとは「傾斜鉄道」のことで急傾斜地で船を運ぶ鉄道である。 琵琶湖疎水の工事と同時代に大津から宇治川までの水運ルートの開発が行われた。 明治23年に完成したこの工事によって琵琶湖から京都への水運が開けた。 途中九条山から蹴上にかけて36mの標高差があり、ここは三十石舟を台車に積んで鉄道(インクライン)で運んだそうだ。 今ではインクラインはその軌跡を一部とどめるだけだが琵琶湖疎水は山科を経て南禅寺から鴨川、南禅寺から哲学の道、北白川へとつながって上水道、防火用水、あるいは親水環境用水として今でも立派に活用されている。

    さて、時間が来たので集合地の知恩院までタクシーを飛ばす。 運転手は同年輩くらい、結構よく話す。 小生が関西出身であることを見抜かれた。 琵琶湖疎水のこともよく知っている。 湯豆腐の話で盛り上がった。 話は尽きなかったがあっという間に知恩院到着。
    ツアーに合流後京都駅に向かい福岡へ。

      以  上

    【旅行時期】2008/03/01~2008/03/02
    【エリア】奈良駅・奈良公園周辺
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】tetsu60

    爽秋の嵯峨野散策 ②美しき苔を求めて(by cervo-montagnaさん)

    平清盛
    今回の散策ルート、渡月橋-野宮神社-祇王寺-常寂光寺-天龍寺-宝厳院のルートの2番目祇王寺。野宮神社、竹林を後にし、奥嵯峨野へ向かい歩くこと
    15分。今回の目的の祇王寺に入苑時間の30分も前についてしまった。受付に立ち寄ってみると、受付の方と近所のおじさんが井戸端会議に花を咲かせていたが、なんと入っていいよとのこと。祇王寺の庭園を貸しきった気分で朝日と奥嵯峨野の水を浴びた苔の絨毯が敷き詰められている庭園はゆっくりと時が流れているように感じられ、時折紅葉前の緑豊かな楓の木の間から差し込む朝日に目を細めながら自然と一体化した美しい庭園に心を洗われた気分になりました。
    また日本文学の最高傑作のひとつ、平家物語の中の平氏全盛のころ平清盛と二人の女性の哀れな物語にもなった舞台で現に尼寺と呼ばれている所縁でもある。諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす、おごれるものも久しからず、、、、祇王寺を歩いているとふと平家物語の巻頭が頭をよぎり、かの平家物語は今日の世界経済、世界情勢を読んでいるのかなと思いながらふと考えてしまったのは僕だけでしょうか

    【旅行時期】2008/11/01~2008/11/01
    【エリア】嵐山・嵯峨野・太秦・桂
    【テーマ】寺社・札所めぐり
    【投稿者】cervo-montagna

    花灯路~初冬の嵐山・嵯峨野~前編(by nagaさん)

    平清盛
     嵐山「花灯路」を見てきました。
     
     今年、京都は3回目です。2回目は、11月22・23日の紅葉真っ盛りのとき。
     
     京都は、人・人・人。どこへ行っても行列!嵐山も行程に入っていたのですが、時間がなくて見られなかった場所がたくさんありました。
     
     今回は、前回見られなかった場所を中心に日帰りで回りました。紅葉の時期とは違い、朝、昼は、人が少なく、ゆっくりじっくり見学する事が出来ました。

     京都のお寺は、本当はこんなに静かなんだと思いました。

     夕方、嵐山周辺は、「花灯路」が行われます。いつの間にこんな人が増えたんだと思うほど、すごい人になりました。

     「花灯路」は12月21日(日)まで行われています。


     朝8:00ころ京都駅に着き、JR嵯峨野線で「嵯峨嵐山駅」まで行き、徒歩で15分くらいか?「大覚寺」へ。正式には「旧嵯峨御所大覚寺門跡」といいます。まだ、誰もいません。とても静かでゆっくり見学できました。襖絵がとても見事でした。

     次に、徒歩で15分ぐらい?「清涼寺」へ。別名「嵯峨釈迦堂」の名で呼び親しまれている。御本尊の「釈迦如来(国宝)」の胎内から発見された「五臓六腑」の模型が展示されている。1000年も昔に、人間の体内を知っていたなんてすごすぎる!

     次に、徒歩で10分ぐらい?「ぎ王寺」へ。平清盛と2人の姉妹の哀れな出来事が思い出される。ひっそりとたたずむお寺です。紅葉のもみじが1本残っていました。竹林は見事。

                           後編につづく

    【旅行時期】2008/12/13~2008/12/13
    【エリア】嵐山・嵯峨野・太秦・桂
    【テーマ】寺社・札所めぐり
    【投稿者】naga